園芸療法から園芸療法システムへ

 

東京大学大学院農学生命科学研究科 大森 宏

 

1.            はじめに

 園芸療法は,植物との触れ合いがもたらす効用を利用して,身体障害者,精神障害者,高齢者らの機能回復や生きる意欲の向上をはかり,QOLQuality Of Life)を改善することを目的としている.近年,自治体や福祉現場で注目が集まっているが,園芸療法の具体的ノウハウやその効果などが流布しているとは言い難い.そこで,ガーデンデザイン専門学校が中心となり,園芸療法家,高崎健康福祉大学,東海大学医学部,宇都宮大学農学部,武蔵野大学,東京大学大学院農学生命科学研究科の研究者,テクノ・ホルティ園芸専門学校の先生,高齢者福祉施設けいわ荘職員,厚木市デイケアサービス施設職員らが協力し,文部科学省の委託を受けて,園芸療法の普及に貢献するための研究を立ち上げた.

昨年度は,専修学校先進的教育研究開発事業「園芸療法士教育育成システムの研究開発」を行い,園芸療法士育成のためのプロトタイプを構築した.また,被介護者(クライアント)に対する効果を,痴呆診断に用いられる MSE(心理機能検査)CDT(時計描画テスト)や老年者や痴呆患者の日常生活の遂行能力を測るNMスケール,N-ADL,および,気分の状態を計測するPOMS,自己記入式QOL質問表QUIKを用いて数値的・客観的に評価した.その結果,園芸療法が痴呆症状を直接改善させたとはいえないが,老年者や痴呆患者の日常生活の向上に寄与することが示された.

さらに,園芸療法はクライアントとボランティアとの双方向的な関わりにより成立するので,ボランティアにも療法により何らかの心理的・教育的効果を及ぼすものと考え,SF36によるQOL,東大式エゴグラムによる自我状態の計測,および日常の園芸活動等のアンケート調査を行った.その結果,園芸療法はボランティアにもよい影響を与えることは示唆されたが,統計的に効果が認められるものではなかった.

今年度は昨年度の研究成果を受け,園芸療法がクライアントとの相互作用により介護者に及ぼす影響を心理学的・精神学的により詳細に検討することを一つの目的とした.さらに,福祉現場での園芸療法の浸透を目的として,実際に現場で働く介護就業者を対象とした,専修学校社会人キャリアアップ教育推進事業「園芸療法短期教育プログラム」を立ち上げた.これは,介護就業者がより高度な福祉サービスのニーズに応えられるように園芸療法の知識と技術を身につけ,ボランティアの指導もできるリーダーの養成をめざした事業でもあった.

 

2.            事業研究の概要

 本事業研究は,施設等で実際に介護を行っている就業者を主要な対象としているので,勤務に多大な支障を与えないように3ヶ月程度(10月−12月)の短期集中講座の形式とした.新聞等のマスコミを通して,園芸療法集中講座受講生を募集したところ,13名の社会人が集まった.また,園芸や介護などの興味を持つ学生6名を加えた19名でスタートした.

 集中講座のプログラムは毎週1回の講座を10回行う計画からなっていた.最初の3回は午前・午後のあわせて5時間をあてて園芸療法の講義を行い,4回目から9回目は午後の3時間をあてて園芸療法の実践活動を行い,最後の10回目が午前・午後の5時間をあてた総合考察というものであった.しかし,季節はずれの台風や後半での降雪などの影響で9回の講座となった.講座の詳細は児玉の報告にあるが,臨機応変に対応することができたので,当初予定の講座内容は実施できたようであった.なお,講座全体を終了したのは17名であった.

 今回の事業研究目的の大きな柱として,園芸療法が介助者やボランティアに及ぼす影響を詳細に検討することがあった.このため,園芸療法の講座を受講する前の心理状態を計測するため,山下によるインタビューを18名に対して行った.また,山根と矢野は昨年と同様に,SF36によるQOLの状態,東大式エゴグラムによる自我状態,日常の園芸活動に対するアンケートを園芸療法講座の前後で行い,全部で16名に対して回答が得られ,講座を受けたことによる変化を調査した.さらに,講座修了後に渡辺が精神科医の立場から16名に対し「半構造化」した面接調査を行った.

 このように,今回の介助者に対する調査は考え得るあらゆる側面から,様々な専門家により行われており,記録上の価値としては大変高いものになっていると言える.しかしながら,筆者の能力不足によりその全貌を評価するには至らない点はご容赦願いたいと思う.なお,それぞれの調査の詳細に関しては,各担当者の報告を参照されたい.

 

3.            主要な結果

 まず,本事業研究の主目的である,園芸療法の知識と技術の取得の程度についてみてみよう.児玉の報告によると,ほとんどすべての受講者が園芸療法の内容や効果を知ることができた,としていた.しかし,短期間講座であったため,園芸療法リーダーとして独り立ちするには至らなかった.その中で明らかになったことは,介護施設で園芸療法を実践して行くには,園芸療法協会等からの情報提供と他の施設との情報交換が継続的に必要とのことであった.また,現在の介護スタッフは多忙であるため,そのスタッフが園芸療法を担当することは難しいとの側面も浮かび上がった.

 次に,山下が行った受講前アンケートでは,福祉現場では,介護に伴うストレスと被介護者からのストレートな反応に対する喜びが同居していること,が浮き彫りになった.また,園芸療法への期待としては,植物を通して被介護者と介護者がともに癒される,コミュニケーションの手段,などがあげられ,よりよい人間関係構築への期待が伺えた.

 山根・矢野の受講者の意識の変化では,昨年と同様,日常の園芸活動への興味が増大する傾向が観察された.また,好奇心,積極性や創造性が高まる傾向もあった.

 渡辺の報告では,受講者で中核となったカテゴリーとして,「園芸療法の効果を実感した」と「人間関係について考えた」の2つをあげ,園芸療法実習が対人学習の機能をもつことを指摘した.また,「自分の心に影響した」というカテゴリーも多く現れ,自分自身も癒されたという効果も認識された.

 このように,本事業の園芸療法プログラムにより,「園芸療法の効果が実感」され,クライアントや受講者間で「人間関係やコミュニケーション」がはかられ,かつ,受講者自身も「癒される」といった効果が色々な側面からの調査で実証された,と考えることができる.

 

4.            施設での園芸療法の現状

4-1.介護施設に対するアンケート調査

 小島は,8月に東京都・神奈川・群馬県内高齢者施設に郵送によるアンケート調査を行った.この調査は,介護施設の園芸療法に対する考え方の調査に加え,本事業の受講生の募集を目的としていた.介護施設の情報は役所の公開資料やHPなどを利用して収集した.合わせて664施設に送付したところ,153施設から回答が得られた.回収率は23%であった.忙しい中,それほどメリットがあるとも思えないアンケート調査に協力できる施設が多数あるとは期待できないが,この回収率は「高い」とは言えないと思う.特に,東京都は10%の回収率で,明らかに他県より低かった.これは,東京都の施設ではそもそも園芸を行う場所に事欠いているため,「園芸」のアンケートに回答不要と考えたのかも知れない.

4-2.園芸療法の認知度

さて,小島のアンケート結果によると,園芸療法を「よく知っている」と回答したのは1/4程度にとどまった.また,園芸活動は約半数の施設で「取り入れている」が,その90%は,「クラブ,趣味,レクレーション」として行っており,「園芸療法プログラム」としているところは10%程度に過ぎなかった.このように,園芸療法は,介護施設に認知され実際に適用されている状況には至っていない.

ところで,園芸活動の効果については,「効果として感じられない」と回答した施設はわずか3%に過ぎず,「精神的効果(90%)」や「身体的効果(33%)」,「社会的効果(27%)」などを多くの施設で多少なりとも実感している.これは,山根・矢野報告の中で触れているように,植物との関わりが人間に癒しを与えていることを,実体験から感じていると考えられる.

植物と人間との関わりを戦略的に行い,効率的にQOLの改善を図る園芸療法を取り入れていなくても,園芸活動の効果がなんとなく認識されるのであるから,実際に園芸療法を経験すれば,その効果はすぐに認識されると考えられる.本事業が介護従事者にターゲットをしぼったのは,このような理由もあった.児玉報告や渡辺報告に述べられているように,受講者はみな効果を実感した.従って本事業のような集中講義を継続して行い,多くの介護従事者が参加すれば,園芸療法に対する理解が介護業界で大きく広まって行くことが期待できる.

4-3.介護従事者のストレスとQOL改善

しかしながら,現状はまだ厳しいことが伺える.本事業のような「研修の受け入れ」が「可能」であると回答したのは35%にしか過ぎなかった.毎週行うプログラムは日程的に厳しいというコメントもあり,日常の介護に忙しく,研修を受けさせて従業員のキャリアアップを図る余裕がない施設が多いのが実情であろうと推察された.さらに,渡辺報告が取り上げているように,介護者に精神症状が30%もの割合で現れているという報告もあり,多くの介護従事者が介護ストレスにさいなまれていると考えられる.また,山下報告でも言葉使いへの気苦労や同じことを繰り返し言う痴呆高齢者との会話のストレス,仕事が忙しく皆イライラしているのでコミュニケーションがはかれない,といった介護ストレスの具体的事例が報告されている.

介護従事者が多忙でストレスにさらされていては被介護者にも悪い影響を及ぼすと考えられるので,介護従事者のQOLを改善する必要もある.園芸療法は被介護者のQOL改善が主目的であるが,これは介護者にもかなりの効果を及ぼすのではないか,という問題意識が本研究事業の柱の一つであった.

4-4.グループ活動としての園芸療法

渡辺の報告で指摘しているように,園芸療法は,園芸療法を受けるクライアントとそれを提供する側(園芸療法士,参加者,ボランティア)が植物を媒介にして集団で楽しむ方法であり,「グループ」としての意味を持っている.渡辺の精神医学的な質的研究から浮かび上がったように,園芸療法実習は,「園芸療法の効果を実感する場」と「出会いやグループ体験の場」となっていることがわかる.

このことは,山根・矢野報告にある,園芸療法実習を重ねるごとにクライアントとのコミュニケーションや適度な援助が行えるようになり,受講者の満足度も高まり,クライアントとの信頼関係も構築された,という記述とも通じるものがある.

本事業により園芸療法実習は,グループ活動を通し介護従事者のQOLの改善にも寄与していることが示されたので,より多くの施設で導入しやすいような施策の構築が望まれる.

なお渡辺は,グループ集団,特に問題を抱えた高齢者などを含むグループ集団で重要なことは,リーダーシップであると指摘している.これは,リーダーシップがうまく機能しない場合,グループがあらぬ方向に退行してしまう恐れがあるからである.園芸療法リーダーのめざすべき方向性を示唆したものと考えられる.

4-5.施設での園芸活動を阻む要因

 ところで,小島アンケートでは,園芸療法の前段階である園芸活動も行っていない施設が半数近くあることも明らかになった.その理由として,指導者がいない,場所・施設がない,やり方・その他情報がない,といった順であった.これをみると,「場所・施設」などのハード的要因よりは,「指導者」や「やり方」といったソフト的要因が園芸活動の導入を阻んでいることがわかる.

また,「今後の園芸活動の導入」に関しても,「資金不足」や「施設」の問題により「今のところ予定がない」ところが約70%と多いが,約25%は「将来的に取り入れたい」と思い,約20%が「園芸活動等のプログラムの詳細が知りたい」と回答しており,園芸活動に対する潜在的需要はかなり高く,具体的情報の提供を望んでいることがわかる.

 

5.            今後の方向

 これまでの議論から,今後の方向性について簡単にまとめてみたい.園芸療法は施設で実際に行えば効果が実感されるが,費用,時間,マンパワー,ノウハウ,などどの側面をみても施設単体で独力に行えるものではない.園芸療法は,園芸療法普及協会のような何らかの第3者的な機関が母体となり運営し,各施設を回っていくのがよいと思われる.このとき,介護従事者の希望者は今回行ったような研修を受講し,一部の従事者や園芸療法のボランティのような立場で参加する方法も考えられる.介護従事者が園芸療法に参加することにより,介護者同士やクライアントと別の側面からのコミュニケーションが生まれ,仕事に対する意欲の向上等の効果も期待できる.

施設である程度経験をつみ,施設専属のボランティアが園芸療法士として育つような環境が整ってはじめて,児玉の報告事例でのべた厚木市の高齢者施設のように単体の施設での園芸療法が実施できると思われる.

 また,介護施設は閉鎖的との印象を持たれることが多いが,第3者機関が運営する園芸療法部隊がボランティアを引き連れて施設に巡回することは,各施設の風通しをよくするなど副次的な効果も期待できる.

 このような園芸療法は園芸療法システムと呼んだ方がふさわしい.園芸療法システムはクライアントのQOL改善といった目的を超えて,ボランティアの募集や知識・技術の伝達,施設への派遣,効果の相互評価,といった有機的な活動に発展するので,地域の介護力の向上といった役割を担うと考えられる.園芸療法システムの構築に向け,自治体からの大きな支援を希求して本稿を終えることにする.

 

謝辞:本事業を行うにあたり,多くの方々のご協力をいただいています.今年度の事業に関しては,受講場所を提供してくださった厚木市デイケアサービス施設の職員の方々,クライアントになってくださった方々,受講生の皆様,さらに,受講生を快く参加させてくださった施設関係者の方々,には特にお礼申しあげます.