ミクロの生物「珪藻」から川の環境を見つめてみよう
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珪藻研究の歴史
7-1. 光顕による分類の歴史

7-1-1. 18世紀前半


 珪藻の観察はレーヴェンフック(Leeuwenhoek)が性能の良い光学顕微鏡を発明して間もない頃にすでにされていたようです。(Leeuwenhoekはしばしば光学顕微鏡の発明者とされることもありますが、彼よりも前の時代に改良された虫眼鏡のようなものはすでに作られていました)。レーヴェンフック自身、1703年の著書中で珪藻とおぼしき物を描いていますが、はっきり珪藻とわかるスケッチと記述は1753年のベーカー(H. Baker)によるものが最初のようです。

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7-1-2. 18世紀後半


 ミューラー(O.R.Mueller)によって珪藻にも「2名法」によるラテン語の学名がつけられるようになりました。当時の学者は顕微鏡で見える小さな生物は、珪藻であろうが、鞭毛虫であろうが、アメーバであろうがすべて「滴虫類」というカテゴリーに分類していました。珪藻には動く(滑走運動)ものがあります。そのため、18世紀後半から19世紀初頭にかけては、動物の学術雑誌にも珪藻が記載されています。

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7-1-3. 19世紀前半


 ドイツのエーレンベルグ(C.G.Ehrenberg)キュッツィング(F.T.Kuetzing)、スウェーデンのアガード(C.A.Agardh)、やや遅れてイギリスのラルフス(J.Ralfs)といった顕微鏡学者・藻類学者の大家が多くの基本的な種類を記載し珪藻分類の基礎を作り上げました。彼らは水中から珪藻を見いだすばかりでなく、珪藻土からも多くの種を記載しました。珪藻土とは、珪藻細胞が死んだ後、珪酸質であるため腐敗しない殻が多量に堆積してできたもので、粘土やシルトの他に珪藻の殻を多量に含み(SiO2として70%以上含有)白色〜灰色をしています。

  当時の顕微鏡はまだ性能があまり良くなく、さらにプレパラートもガラスを使ったものでなく、マイカ板に試料を載せただけのものでした。このため細かい殻の模様について詳しい観察ができませんでした。今でもエーレンベルグの標本はベルリンのフンボルト大学自然科学博物館、キュッツィングの標本はロンドンの自然史博物館、アガードのものはルントの植物学博物館に大切に保存され、現代の珪藻分類学者によってしばしば再研究されています。

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7-1-4. 19世紀後半


 珪藻の分類分野にもダーウィン(C.Darwin)の進化論の影響が及んできました。すなわち、それ以前の分類はすべて種の単位で行われていたものが、種の進化過程におけるより密接な系統関係を表すため、変種あるいは品種という種以下の分類群がオーストリアのグルノウ(A.Grunow)らによって盛んに記載されるようになったのです。この時代になるとプレパラートはカバーガラスとスライドガラスより作られるようになり、また顕微鏡レンズも高性能のものが作られるようになったので、現在の光顕観察と同レベルの観察がなされるようになりました。この時代イギリスではウイリアム・スミス(W.Smith)、グレゴリー(W.Gregory)、スウェーデンではクレヴ(P.T.Cleve)といった研究者が多くの研究を残しています。

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7-1-5. 20世紀前〜中期


(1)高性能封入剤の開発

 光学顕微鏡を用いた分類は頂点を迎え、数多くの優れた論文が書かれるようになりました。その一因としてプレパラートを作る際の封入剤が旧来使われていた樹皮からとった樹脂のカナダバルサムから、スティーラックス(Styrax)、また人造樹脂のハイラックス(Hyrax)、プルーラックス(Pleurax)と高屈折率の封入剤に変わったため、高いコントラストで殻の微細な模様を観察できるようになったことがあげらます。ハイラックス、プルーラックスの使用はアメリカのカリフォルニアで化石珪藻の研究をしていたハンナ(G.D.Hanna)によって報告され、その後世界に大いに普及しました。

(2)珪藻分類界のスーパースター:フステット

 近世における数ある珪藻分類の学者の中で、その仕事の量と質で特筆すべき研究者はフステット(F.Hustedt)でしょう。彼は1886年ドイツ北部のブレーメンに生まれ、53歳までは国民学校の教員でしたが、その後プレーン水生生物研究所に所属し、67歳以降は自宅で研究をおこないました。彼は1968年、82歳で没するまでの58年間に116編の論文を発表しましたが、その中には近年まで珪藻分類入門者のバイブルとされた『パッシャー(A.Pascher)編.中欧の淡水植物相:第10集.珪藻』や『ラーベンホルスト(L.Rabenhorst)編.ドイツ、オーストリア、スイスの隠花植物相:第7巻.珪藻』などの名著、大著が含まれています。現在彼の研究した膨大な数の試料とプレパラートは、ブレーマーハーフェンにあるアルフレッド・ウェゲナー研究所内の彼を記念して設けられた一室の中に整然と保存されています。またそこには、彼の観察した全ての種類について、どのプレパラートに入っているかがわかるカード式のインデックスと、どの地点から採集した珪藻がどのプレパラートに入っているかがわかるインデックスが作られており、たいへん整理が行き届いた珪藻標本庫の感があります。

(3)欧米以外の研究者

 19世紀まで、珪藻の研究はもっぱら西ヨーロッパの学者によってなされていましたが、20世紀になると他の地域にも珪藻の研究が広まりました。ハンガリーではパンチェック(J.Pantocsek)が研究を始め、またロシア革命で満州に亡命したスコルツォフ(B.W.Skvortzow)はハルピンで中国や日本の珪藻を研究しました。またハンガリー生まれのチョルノキー(B.J.Cholnoky)は南アフリカに移住しアフリカから多くの新種を記載すると共に珪藻の生態学的研究を活発に行いました。

(4)アメリカにおける研究

  アメリカで珪藻研究の根拠地となったのはフィラデルフィアアカデミーでした。それはボイヤー(C.S.Boyer))によって礎が作られ、パトリック(R.Patrick)とライマー(C.W.Reimer)によって引き継がれました。彼らによって2巻より成る一大モノグラフ『アメリカの珪藻』が出版されています。パトリックはおそらく珪藻学者の中で最も初めに国際植物命名規約に書かれてある「タイプ法」に従って分類研究を行った学者でしょう。アメリカは珪藻研究の歴史ではスタートに遅れをとりましたが、アカデミーでは財力にまかせヨーロッパで過去に研究された古典的かつ重要な珪藻プレパラートをことあるたびに購入したのです。そのため19世紀にヨーロッパの研究者が新種を見いだした試料と同一の試料から作ったプレパラート(国際植物命名規約で言うところのアイソタイプ:副基準標本)を多数保有することができました。このアカデミーの珪藻標本庫もブレーマーハーフェンのものと勝るとも劣らず整理のされた見事な標本庫です。

  また、サンフランシスコにあるカリフォルニア科学アカデミーにも整頓された珪藻コレクションがあります。ここには化石珪藻を専門としたハンナ(G.D.Hanna)の標本をはじめとし、多くのアメリカ産の標本が保管されています。目録はコンピュータ管理されており近代的な標本庫です。なお、ここのホームページは一見の価値があり。
The Diatom Collection of the California Academy of Sciences

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